織田信長は日本人では誰もが知っている戦国の世を制覇しようとした最も有名な武将の一人です。

しかし、信長の夢は本能人の変により打ち砕かれ、49歳の若さで命を落としました。

早世したことから、信長の子孫はいないイメージが世間にはありますが、実は数多くの側室や愛人がおり、彼から生まれた子供たちはたくさんいます。

この記事では織田信長の子孫についての系譜を紐解いていきます。

織田信長の直系子孫とその系譜

信長は正室である濃姫との間に子供は授かりませんでしたが、数多くの側室との間で20人以上の子供を儲けました。

その中でも信長から信頼を得ていた信忠と信雄についてみていきましょう。

・織田信長から家督を継いだ長男 織田信忠

信長から尾張・美濃の家督を譲り受け、信長の後継者の道となる予定でしたが、歴史はそのようにはなりませんでした。それは1582年に本能人の変が起きたからです。

信忠はその知らせを受けると同時に本能寺へ救援に向かいますが、信長の自害の知らせを受けました。その後、明智光秀を迎え撃つべく二条新御所に移動し、籠城しました。

そこに明智軍が攻め入り、応戦しようとしましたが、あまりの敵兵の数の多さに勝ち目がないと思い、その場で自刃し、子供は授からないまま26歳の若さで亡くなりました。

・伊勢北畠家の家督を継いだ次男 織田信雄

信長が北畠家の土地である伊勢を攻め、北畠はその包囲に耐え兼ね和議を行い、その条件として信雄が北畠家の養子となりました。

本能寺の変が起こった時、信雄は居城である伊勢松島城にいました。

知らせを受けるとすぐに甲賀の方まで進軍しましたが、伊賀の人々が不穏な動きを見せたために西に進軍することが出来なったと軍記に記載があります。その後、最終的には徳川家の大名となることに成功し、73歳まで生き、3人の子供を授かっています。

徳川家までつながる織田家の子孫

織田家は最終的には徳川家を通じて、子孫を残していきます。

その重要人物の一人となるのが織田信長の妹であるお市の方でした。

実際にどのようにして徳川家を通じて子孫を残していったのか見ていきましょう。

・織田信長の妹 お市の方

お市は信長の妹にあたり、信長の13歳年下の妹として織田家に生まれました。現在の滋賀県である北近江の戦国大名だった浅井長政のもとに嫁ぎました。この結婚は兄・信長の命であり、上洛のための布石として長政と同盟を結ぶための政略結婚だったと言われています。

こうした結婚生活でお市は3人の娘である茶々、初、江を授かります。

しかし、その後、浅井家は滅亡し、滅亡させた柴田勝家と結婚することになります。しかし、柴田勝家が秀吉に敗れることで、柴田勝家とお市の方は自害します。お市の方が授かった三人の娘は秀吉に引き取られることになります。

・豊臣秀吉の側室となる長女 茶々

秀吉に引き取られた後、1588年ごろに側室となります。

1589年には第一子を産みますが、その子は間もなくして夭逝してしまいます。

その後、1593年に第二子目である拾(のちの豊臣秀頼)を生みました。しかし1615年には大阪の陣での敗戦により、茶々は子である秀頼と共に自害し、豊臣家は滅亡します。

・京極高次の正室となる次女 初

秀吉に引き取られた後、秀吉の勧めにより、浅井家の主筋であり、京極家の当主だった京極高次と結婚することになります。

その後1609年に京極高次と死別すると出家し、常高院へ身をおくようになります。そして最終的には子供は生まず、1633年に死去します。

・2代目徳川家将軍の正室となる三女 江

江は豊臣秀吉の養女となり、生涯で3回結婚することになります。

1回目の秀吉の政略結婚により、織田信雄の従弟である佐治一成と結婚することになります。

しかし、信雄が秀吉と対立したことによって離婚します。

2回目は12歳の時、豊臣秀吉の甥である羽柴小吉秀勝と結婚することになります。

そして羽柴小吉秀勝との間では子供を授かり、定子と名づけられました。

3回目は第2代将軍である徳川秀忠に嫁いだ豊臣秀勝と結婚し、2男5女の子供を授かったとされています。

織田信長の子供 全29名一覧表

名前 生没年
1. 濃姫(のうひめ)
2. 生駒吉乃(いこま きつの) 1566年
3.  慈徳院(じとくいん) ?年
4. 坂氏(さかし) ?年
5.  養観院(ようかんいん) ?年
6. お鍋の方(おなべのかた) 1612年
7.  土方氏(ひじかたし) ?年
8. 信忠(のぶただ) 1582年
9. 信雄(のぶかつ) 1630年
10. 神戸信孝(のぶたか) 15年
11. 羽柴秀勝(ひでかつ) 1583年
12. 勝長(かつなが) 1585年
13.  信秀(のぶひで) 1597年以降
14. 信高(のぶたか) 1603年?
15.  信吉(のぶよし) 1615年
16.  信貞(のぶさだ) 1624年
17. 信好(のぶよし) 1615年
18. 長次(ながつぐ) 1600年
19. 徳姫【松平信康室】(とくひめ) 1636年
20. 相応院【蒲生氏郷室】(そうおういん) 1641年
21. 永姫【前田利長室】(えいひめ) 1623年
22. 報恩院【丹羽長重室】(ほうおんいん) 1653年
23. 秀子【筒井定次室】(ひでこ) ?年
24. 於振【水野忠胤室】(おふり) 1643年
25. 源光院【万里小路充房継室】(げんこういん) 1600年
26. 三の丸殿【豊臣秀吉側室】(さんのまるどの) 1603年
27. 鶴姫【中川秀政室】(つるひめ) ?年
28. 月明院【徳大寺実久室】(げつみょういん) 1608年
29. 慈眼院(じげんいん) 1641年