伊達政宗は、戦国時代から江戸時代に活躍した戦国武将です。18歳で家を継ぎ、さまざまな合戦を経験していきました。

伊達政宗の日本統一は、豊臣秀吉に阻まれ叶いませんでしたが、世間に大きな影響を与えたと言えます。

そんな伊達政宗の子孫はどんな方だったのでしょうか。子孫の活躍から歴史を紐解いていきますので、興味がある方は参考にしてみてください。

伊達政宗の子孫一覧表

名前 主に活躍した事柄 子孫の関係
伊達忠宗 仙台藩二代目 次男(嫡男)
伊達秀宗 宇和島藩初代 長男
伊達宗清 陸奥国黒川郡吉岡城の城主 三男
伊達宗泰 岩出山伊達家の初代当主 四男
伊達宗綱 陸奥国仙台藩一門の岩ヶ崎伊達家の初代当主 五男(第6子)
伊達宗信 陸奥国仙台藩一門の岩ヶ崎伊達家2代当主 六男(第7子)
伊達宗高 陸奥国仙台藩一門の村田伊達家の当主 七男
伊達竹松丸 病により7歳で亡くなりました 八男(第10子)
伊達亘理伊達宗実 陸奥国仙台藩一門第二席 九男
伊達宗勝 陸奥国仙台藩の支藩である陸奥一関藩の主 十男

伊達政宗の子供たちは、それぞれ歴史に名を刻んでいます。子供たちのほとんどが当主の座につき、歴史を動かしてきました。

そのことから伊達政宗の息子達はとても優秀だと言えます。ただし、八男の伊達竹松丸は、病により幼い年齢で亡くなりました。

伊達政宗の子孫で歴代の当主一覧

伊達政宗の子孫で歴代の当主はどんなことをしてきたのでしょうか。歴代の当主によって活躍していた事柄が変わります。

この章では、過去の出来事を振り返りながら、歴史を紐解いていきましょう。

二代目・伊達忠宗

伊達忠宗は、伊達政宗の息子であり、伊達家の18代目の当主で次男(嫡男)です。

陸奥国仙台藩の二代目藩主になります。仙台藩の大きな基盤を固めたことで有名な大名です。

そのことから『守成の名君』という異名が語り継がれています。また、鉄砲の腕前も優秀と言われていました。

三代目・伊達綱宗

伊達綱宗は、伊達忠宗と側室の貝姫との息子であり、伊達家の19代目の当主です。

幕府から許しを得て、仙台藩の三代目藩主になりました。

しかし、伊達綱宗はお酒に溺れ、藩主に相応しくないと21歳で隠居させられたと言います。

伊達綱宗は、隠居後に優れた芸術作品を多数世の中に残してきました。特に絵画の評価が高く、現在も仙台市美術館に展示されています。

四代目・伊達綱村

伊達綱村は、伊達綱宗の長男であり、伊達家の20代目の当主です。仙台藩の四代目藩主でもあり、数々の実績を残しています。

父親の綱宗が隠居させられ、僅か2歳で伊達家の家督を相続したそうです。

また、13歳で政務に関わり、防風林や運河の開発、仏教を支えるために寺院や神社の建設にも取り組みました。

五代目・伊達吉村

伊達吉村は、伊達忠宗の八男である伊達宗房の息子であり、伊達家の21代目の当主です。

仙台藩の五代目藩主として有名ですが、始めは仙台藩一門の宮床伊達家の2代目当主でした。

伊達綱村が隠居になり、伊達吉村が藩主になりましたが、その頃の財政は破綻状態だったと言います。

伊達綱村が建物の建設に財政を使いすぎていた為です。

伊達吉村はすぐに財政再建に取り組み、仙台藩を『中興の英主』と呼ばれるまでに回復させたと言われています。

六代目・伊達宗村

伊達宗村は、伊達吉村の五男であり、伊達家の22代目の当主です。仙台藩の六代目藩主として活躍していました。

文学に優れ、多くの書物を世に残しましたが、馬術や槍術、剣術、軍術に精通していたため智勇兼備とも言われています。

七代目・伊達重村

伊達重村は、伊達宗村の次男であり、伊達家の23代目の当主です。

仙台藩の七代目藩主ですが、官位昇進のため藩財政の建て直しではなく、賄賂に大金を使っていたと言われています。

八代目・伊達斉村

伊達斉村は、伊達重村の次男であり、伊達家の24代目の当主です。仙台藩の八代目藩主ですが、武術よりも芸術に秀でていました。

九代目・伊達周宗

伊達周宗は、伊達斉村の長男であり、伊達家の25代目の当主です。

仙台藩の九代目藩主ですが、祖父の伊達重村と母を同年に亡くし、生後六か月で藩主になったと言います。

しかし、17歳に幕府に対して養子での相続願いを提出し、隠居が許された珍しい藩主です。

十代目・伊達斉宗

伊達斉宗は、伊達斉村の次男として生まれ、伊達家の26代目の当主です。兄である伊達周宗が隠居したため、仙台藩の十代目藩主となりました。

24歳という若さで亡くなりましたが、剣術や詩歌を好み、文武両道だったと言われています。

十一代目・伊達斉義

伊達斉義は、田村村資の四男ですが、伊達斉宗の娘と婚約し婿養子となり、伊達家の27代目の当主になりました。

また、伊達斉宗の娘である芝姫は当時3歳だったそうです。

仙台藩の十一代目藩主ですが、幼少期は伝承関係で悩まされていたと言われています。

十二代目・伊達斉邦

伊達斉邦は、伊達吉村の八男である伊達宗充の長男であり、伊達家の28代目の当主です。

仙台藩の十二代目藩主で、有能な役人を多く雇用し、藩政改革に取り組んだとされています。

しかし、伊達斉邦は藩主になったのちに、自然災害に直面したため、民から「悪政を行う領主には天罰が下る」と批判される声もあったと言われています。

十三代目・伊達慶邦

伊達慶邦は、伊達斉邦の次男として生まれ、伊達家の29代目の当主になりました。

仙台藩の十三代目藩主になった当時は、北海道近辺を警護していて、3分1程度まで領地を拡大していたと言われています。

しかし、戊辰戦争で仙台藩は盟主として戦いましたが敗戦し、全領土を没収され、伊達慶邦は江戸に連行されました。

十四代目・伊達宗基

伊達宗基は、伊達慶邦の息子であり、伊達家の30代目の当主です。

仙台藩の十四代目藩主が最後の藩主で、北海道紗那地方の支配も命じられましたが、そのころ幼少だったため、養子の伊達宗敦に譲りました。

伊達邦宗

伊達邦宗は、元仙台藩伊達家の31代目の当主です。

兄の伊達宗基の養子となり、ケンブリッジ大学で経済学を学び農場『養種園』を開設しました。

農業の発展に大きく貢献したと言われています。

伊達興宗

伊達興宗は、伊達邦宗の息子であり、伊達家の32代目の当主です。東京農業大学に進学しました。

没後、夫人が伊達家の所有する土地を勝手に売却するなど、親族と争いごとに発展したとされ、世間では「新伊達騒動」と言われ注目されたと語られています。

伊達貞宗

伊達貞宗は、伊達興宗の息子であり、伊達家の33代目の当主です。学習院大学を卒業したのち、伊達興宗が亡くなって家督を相続しました。

伊達貞宗は、仙台市博物館の名誉館長も務めていたことで有名です。

伊達政宗の子孫で有名な方

この章では、伊達家の直系や血筋を受け継いでいる人を紹介していきたいと思います。

伊達家に関する有名な芸能人が気になる方は、ぜひ参考にしてみてください。

モデル・伊達佳内子

伊達佳内子は、日本でモデルの仕事をしています。伊達家直系の血筋で、伊達政宗の子孫です。

第68回『ミス・ワールド世界大会』のトップタレント部門で日本人初の優勝者になりました。

伊達佳内子は、6ヶ国語を話せるグローバルな活躍をしています。

サンドウィッチマン・伊達みきお

伊達みきおは、日本のお笑いタレントです。お笑いコンビのサンドウィッチマンのツッコミ役を担当しています。

伊達みきおは、初代仙台藩主政宗の女系子孫です。テレビなどでは、「分家の分家」と説明していたりします。

父親からは、「伊達家の末裔だから本名は名乗るな」と言われていましたが、それに従わなかったという話も有名です。

伊達家現代の当主・伊達泰宗

伊達泰宗は、伊達家の34代目の当主です。

歴史の専門家でありながらも多くの仕事を受けています。

伊達政宗の生涯を描いたNHK大河ドラマである『独眼竜政宗』の監修も担当し、インタビューにも出演しました。

伊達泰宗は、学芸員の資格を持っていて、伊達家に関する歴史遺産の修復に携わっています。

毎年5月に開催される『仙台・青葉まつり』では、武者行列の先頭を歩くなど、イベントにも積極的に参加していることで有名です。