島津義弘は、戦国時代から安土桃山時代にかけての薩摩国の武将です。

関ヶ原の戦いでの的中突破の手法を用いた戦いぶりは「島津の退き口」として、語り継がれています。

それほどの活躍をしていた島津義弘は、名言も沢山残しており、どれも勇敢さを感じることができるでしょう。

この記事では、島津義弘の短い名言から性格が分かる名言まで12選を紹介していきます。

名言の意味も合わせて解説していきますので、ぜひ参考にしてみてください。

島津義弘の名言|短い格言と意味

この章では、島津義弘が残した短い名言を2つ紹介します。

短いながらも、漢らしい生き様が感じられる名言なので、現代社会においても、座右の銘とする方も多いでしょう。

敵に向かって逃げろ

この名言は一見矛盾しているように聞こえますが、実際には深い戦術的な洞察を含んでいます。

「逃げる」という行動を単なる退却や敗走としてではなく、戦術的な後退として捉えるべきです。

つまり、敵に対して背を向けて逃げるのではなく、戦略的な退避や再配置を行いながら、次の機会を狙うという意味があります。

退却戦や遅滞戦術に長けている島津義弘ならではの格言といえるでしょう。

独り言であっても、卑怯な言葉を使ってはならぬ

この名言は、心の中であっても、自己を律することの重要性を示しています。

独り言や心の中での言葉であっても、卑怯な言葉や思考を持つことは、自らの品格や信念を損なうことに繋がると言えるでしょう。

この格言には、言葉の使い方に注意を払い、常に高い道徳心を持つことを求めるという意味も込められています。

常に正々堂々とした態度を保つことが、勝利への道につながると信じた島津義弘の心の強さが垣間見えます。

島津義弘の名言|性格が分かる格言と意味

島津義弘は、強さや戦術だけでなく、親分肌を感じられる性格の持ち主です。

名言からわかる島津義弘のそんな性格を紐解いていきましょう。

いそぐなよまた急ぐなよ世の中の定まる風の吹かぬかぎりは

この名言は、何事も焦らず、慎重に状況を見極めるという意味になります。

特に、物事がまだ安定していない時期には、むやみに急いで行動を起こすことは避けるべきだという教えです。

適切な時期やタイミングを待つことで、より良い結果を得ることができるという考え方が含まれています。

島津義弘は家臣や兵士に対して、軽率な行動が全体の敗北につながることを教えるためにこの言葉を残しました。

座すべきときには座し、走るべきときには走れ

この名言は、状況に応じた適切な行動を取ることの重要性を強調しています。

無駄な動きや無計画な行動は、兵士や資源の消耗を招くため、彼は家臣や兵士に対して、状況を的確に判断することの重要性を教えました。

最適な行動を取ることで、戦況を有利に進めることができます。

休むべき時にはしっかりと休み、行動を起こすべき時には迅速かつ全力で行動することが大切です。

隠し立てしなければ恥ずかしいようなことはしてはならぬ、人の目は天にかかっているものである

この名言は、自分の行動を隠す必要があるようなことを行うべきではなく、常に公正で透明な行動を心がけるべきだという誠実さと正直さの教えです。

人々の目は天の目(神の目)と同じように常に見ているという意識を持つことが求められています。

隠し立てをしなければならないような行動は、自らの品格を損なうものであり、長期的には信頼を失うことに繋がると考えていました。

家を治めるほどの者は、また、国を治めることもできる、民を憐む者を、君の器と見なす

この言葉は、家庭や村をうまく管理できる者は、国や領地などの大きな共同体を管理できるという意味です。

また、民を慈しみ、思いやる心を持つ者こそが、リーダーとしてふさわしいとして残された名言です。

民を大切にすることで、安定した統治が可能となり、結果的に国全体の繁栄につながるという信念が込められています。

島津義弘の名言|格好良い格言と意味

前述で分かるように、島津義弘の名言には漢らしさや勇敢さが込められています。

中でも、「格好良い」と思わされる名言を3つ紹介するので、ぜひご覧ください。

蟷螂の斧をもって竜車に向かう(力のないものが実力を顧みずに立ち向かうたとえ)ようなものだ

この名言は、自分の力量を過信し、無謀に大きな挑戦を試みることの愚かさを意味しています。

「蟷螂の斧」とはカマキリの前脚を指し、それが巨大な竜車(龍が引く戦車)に向かう様子は、圧倒的な力の差がある状況で無謀に挑む行為を表しています。

つまり、自己の実力を客観的に評価せず、大きな目標や強敵に対して軽率に挑むことは、無益で危険であるという教訓です。

この名言が残されたのは、島津義弘自身が劣勢な状況から逆転を狙う際も、常に冷静に状況を見極め、慎重に行動したことが背景にあります。

家運を開けたのはひとえに卿(義弘)のおかげである

この名言は、島津家の繁栄や成功が義弘の功績によるものであることを称賛しています。

ここでの「家運」とは家の運命や繁栄を指し、「卿」は島津義弘を敬称で呼んでいることから、彼の偉大な業績が島津家の発展に決定的な役割を果たしたことを示しています。

義弘の功績が島津家の運命を切り開き、繁栄へと導いたという評価が込められているのです。

死に急いではならない。世の中がどう転ぶかまだわからないのだから

この名言は、絶望的な状況にあっても命を粗末にせず、生き続けることの重要性を説いています。

人生や戦局は常に変化するものであり、現在の困難な状況も将来的には好転する可能性があるため、早まって命を捨てるべきではないという教えです。

家臣や兵士たちに対して、どんなに困難な状況でも希望を捨てずに生き抜き、未来を信じることを教えるために残されたものです。

島津義弘の名言|心に染みる格言と意味

島津義弘は、どんな状況においても、家臣や兵士たちに対して激励ととれる名言を数多く残しています。

この章では、そんなリーダーシップもとれる島津義弘の心に沁みる名言を紹介します。

たとへ討たれるといへども、敵に向かって死すべしと思ふ

この名言は、戦士としての誇りを持ち、決して逃げずに敵に立ち向かって死ぬことという意味が込められています。

敗北が避けられない場合でも、戦士としての尊厳を保つためには、最後まで勇敢に戦い抜くべきだという教えです。

島津義弘は数多くの戦場を経験し、武士道の精神を強く持っていました。

戦場での勇敢な行動が、戦後の評価にも影響を与えるため、士気を高める目的もあったのでしょう。

体中から力が抜け落ちているようだ、久保はこのような形で死ぬべき者ではなかった

この名言は、島津義弘が島津久保の死を深く悲しんでいることを表しています。

島津義弘と島津久保の関係は、具体的な歴史的資料が少ないため詳細は不明ですが、一般的に考えられるのは久保が義弘の信頼された家臣であるということです。

その死が義弘にとって深い悲しみをもたらしました。

義弘の言葉からは、彼が家臣を大切にし、その死を悼む姿勢が伺えます。

また、戦場での仲間の死が戦意に与える影響についても考えさせる言葉です。

良いことの五つは真似しやすく、悪いことの一つはなかなかやめられない

この名言は、良い行いを模倣することは比較的簡単である一方で、悪い習慣を断ち切ることは非常に難しいという人間の本性を指摘しています。

また、善行は一時的にでも取り入れやすいですが、悪行は根深く、習慣化しやすいことも示された名言です。

島津義弘は多くの人々を指導する立場にあったことから、人間の行動パターンについて深く理解していたのでしょう。