現在の新潟県にあたる越後国などの北陸地方を支配していた戦国武将「上杉謙信」は「軍神」「越後の龍」と呼ばれるほど戦上手でもありました。
もう一方で、信心深く、義を重んじる一面もあり、敵対していた武田軍に対して塩を送ったエピソードは非常に有名です。
今も残されている名言の数々も思わず、かっこいいと思うものもあれば、胸にジーンと染みるものまでさまざまです。
今回は上杉家家訓を含めた9個の名言を紹介します。
上杉謙信の思わず痺れる名言
我を毘沙門天(びしゃもんてん)と思え
上杉謙信が篤く信仰していたのが仏教の守護神でもあり、戦いの神様としても有名な毘沙門天です。未御旗にも「毘」の文字を使い、「毘沙門天の生まれ変わりである」と信じていました。
上杉家は毘沙門堂で誓いをたて、家臣を派遣していました。
あるとき、緊急で毘沙門天堂に行く時間がなかったため、家臣に「我を毘沙門天(びしゃもんてん)と思え」と告げ誓いをたてさせました。
我は兵を以て戦ひを決せん。塩を以て敵を屈せしむる事をせじ。
武田家は今川氏真と北条氏康の策力によって塩の輸入を止められました。
海に面していない甲斐国では塩は輸入に頼るしかなかったため、かなりの痛手となり、ピンチに陥りました。
そんな武田家に対して、上杉謙信は値段を吊り上げることなく、適正価格で塩を売り、最大のライバルのピンチを助けます。
この後に起きる長篠の戦いでも同じようにピンチに付け込むことはしない謙信の信念を感じます。
人の落ち目を見て攻め取るは、本意ならぬことなり。
この言葉は武田信玄が亡くなり、長篠の戦いで織田・徳川連合軍に武田軍が敗れたのを知った家臣から、信濃を攻めれば勝てると進言しました。
しかし、上杉謙信は、今攻めれば武田軍を倒し、甲斐国(現在の山梨県)まで奪えるがそれは私の本意ではないと攻めることはしませんでした。
義の武将とも呼ばれ、自分の正しさに向き合う謙信の強さを感じる言葉です。
仕事にも活かせる上杉謙信の名言
様々な勢力に囲まれ、謀反などの裏切りも起きる戦国時代で生き抜いていた戦国武将の言葉は現代のビジネスにもつながる部分もあります。
甲斐国の武田信玄や相模国の北条氏康など強敵と闘いながら、勢力を拡大させていきました。
仕事やスキルアップにつながるものであったり、人付き合いに関するものなど参考になる名言を3つほどピックアップしてお伝えします。
運は天にあり、鎧は胸にあり、手柄は足にあり
長尾景虎と名乗っていた20代後半ごろに戦場で味方を鼓舞するために放った言葉です。
運は天が決めるものだが、身を守ることは自分の力や心構えで決まり、手柄は自分自身で掴めという意味になります。
戦国時代は占いやゲン担ぎなど重要視されており、武田信玄や島津義久などは大切にしていました。
しかし、謙信は戦国時代には珍しい占いをあまり信じない人でした。
そんな謙信らしい、自分で力をつけ、成果を得よという力強い言葉です。
武士なれば、わが進すすむべき道はこれほかなしと、自らに運を定さだめるべし
「自分の進む道はこれしかないと決め、自分の力で運をつかみとれ」というシンプルでありながら力強い言葉です。
仕事の不満や愚痴をこぼしたり、悩みすぎるのでなく、覚悟を決めて取り組むことが大切であることに気づけます。
武田信玄などの有力な武将に囲まれながらも着実に力をつけ、戦を勝ち抜き、領国を守った謙信の強さが感じられます。
人の上に立つ対象となるべき人間の一言は、深き思慮をもってなすべきだ。 軽率なことは言ってはならぬ。
信用というものはたった一言で失ってしまうほど脆いものです。
軽い気持ちで言った言葉が思わぬ、誤解につながったり、傷つけたりすることがあります。
小さな不満の積み重ねが謀反につながってしまう戦国時代ではこうしたこころがけは非常に重要なものでした。
上杉謙信は2度も謀反を起こした北条高広や、離反と謀反を繰り返した佐野昌綱に対しても命を奪うことはしませんでした。
人の上に立つ人は自分の言葉にしっかりと責任を持たなけらばいけないというのはどの時代でも大切だということがわかる名言です。
上杉謙信公家訓16ヶ条「宝在心」
上杉家には上杉謙信が残した16か条の家訓があります。
「宝在心」は宝は心に在りという意味で、どのような心の在り方でいるべきかを上杉謙信が記したとされるものです。
上杉家には「宝在心」と記された印章は現存していますが、詳しい資料はなく、おそらく仏教用語から取ったのではないかと考えられています。
- 家訓16ヶ条「宝在心」
- 一、心に物なき時は心広く体泰なり
(物欲がなければ心はゆったりとし体はさわやかである) - 一、心に我儘なき時は愛敬失わず
(気ままな振舞いがなければ、愛嬌を失わない) - 一、心に欲なき時は義理を行う
(無欲であれば、正しい行い、良識な判断ができる) - 一、心に私なき時は疑うことなし
(私心がなければ他人を疑うことがない) - 一、心に驕りなき時は人を教う
(驕り高ぶる心がなければ、はじめて人を諭し教えられる) - 一、心に誤りなき時は人を畏れず
(心にやましい事がなければ、人を畏れない) - 一、心に邪見なき時は人を育つる
(間違った見方がなければ、人が従ってくる) - 一、心に貪りなき時は人に諂うことなし
(貪欲な気持ちがなければ、こびる必要がない) - 一、心に怒りなき時は言葉和らかなり
(おだやかな心である時は、言葉もやわらかである) - 一、心に堪忍ある時は事を調う
(忍耐すれば何事も成就する) - 一、心に曇りなき時は心静かなり
(心がすがすがしい時は、人に対しても穏やかである) - 一、心に勇みある時は悔やむことなし
(勇気を持っておこなえば、悔やむことはない) - 一、心賤しからざる時は願い好まず
(心が豊かであれば、無理な願い事をしない) - 一、心に孝行ある時は忠節厚し
(孝行の心があれば忠節心が深い) - 一、心に自慢なき時は人の善を知り
(うぬぼれない時は、人の長所や良さがわかる) - 一、心に迷いなき時は人を咎めず
(しっかりした信念があれば、人を咎めだてしない)
上杉謙信の辞世の句
1578年、49歳で亡くなったとされています。
遠征の準備を行っていた3月9日に突然、倒れてしまい数日間寝込んで回復することなく亡くなりました。
死因については酒を飲みすぎ、早朝の寒さによって脳溢血が起きた説や寄生虫の影響によって体調を崩してしまう「虫気」によるものという説もあります。
極楽も 地獄も先は 有明の 月の心に 懸かる雲なし
- 意味
- 死んだあとに行くのが極楽でも地獄でも、今の私の心は、雲ひとつない夜明けの月のように晴れやかである
急死にも関わらず、「雲一つない月のよう」と非常に穏やかな心境であることがうかがえます。
「極楽でも地獄でも」と行く先を気にせず、あるがままを受け入れている姿は仏教を篤く信仰していた謙信が最後に悟りを開いたとも感じられる句になっています。
四十九年 一睡の夢 一期の栄華 一盃の酒
- 意味
- 49年間の私の人生は、一夜の夢のようであった、この世の栄華も1杯の酒と同じような存在だ
自分のこれまでの人生を一杯のお酒で表現しており、非常にお酒好きで知られている謙信らしいものです。
酒の席ではだれよりも飲み、酒の席では誰よりものみ、酒が3合(540ml)入る大盃(おおさかずき)を愛用しており、「馬上杯」という遺品まで残っています。
残された2つの辞世の句がどちらも後悔の念などがこめられていないことも上杉謙信の人としての強さが感じられます。